■ぼくは部外者
結論から言うと、「映画館ビジネスのあり方について、建設的・生産的な提案ができない以上は、とやかく口を挟める立場にはない。」ということに尽きる。
窓口料金をいくらにすべきか、そういったことを言える立場にはないということだ。
なぜなら、ぼくは映画館ビジネスの内実を知らない。
完全な部外者である。
そんな部外者が、憶測でものをいうべきではないからだ。
■ぼくは「駄々をこねる映画好き」でしかなかった
それでもつい憶測で業界批判をしてしまう「映画好き」がいる。(←他人事のように書いてますが、ぼくのことです)
しかし、それは甘えである。
何に甘えているのか。
「映画は映画館で見るべきだ」という信条に甘えているのだ。
「俺は映画が好きだ」
↓
「だから映画館でいい映画を観たい」
↓
「なのに、映画館には、映画好きである俺の眼鏡にかなうマトモな映画がかかっていない」
↓
「映画業界がマトモな商売をしていれば、映画館にはもうちょっとマトモな映画がかかっているはずだ」
↓
「ということは、映画業界はマトモな商売をしていないのだ」
↓
「じゃあ、映画好きであるこの俺が、マトモな商売のやり方を教えてやろう」
・・・要は、駄々をこねているわけである。
映画館が自分のほうを向いていないことに苛立ち、「もっと俺のことを見てくれ!」とぐずっているわけである。(←他人事のように書いてますが、ぼくのことです)
■映画館が「映画好きのための商売」をする義理はない
しかし、当然のことだが、映画業界の人たちは、知力を尽くして必死に商売をしているのである。
「映画館ビジネス」が現在のようなあり方になったのは、その奮闘の結果なのだ。
「映画好き」が現在の「映画館ビジネス」のあり方に不満を持つとしても、だからといって憶測で文句を言うべきではないのだろう。
商売人がいかなる客を選ぶかは自由なのだから・・・
■同じように、映画好きが「映画館の商売を心配する」義理だってない
その反面、客にだって自由はある。
映画館で見るか、TV画面で見るか。それは、客の自由である。
『映画館ブログ』さんは、「映画は、映画館で見るから映画なのだ」とおっしゃる。
TV画面で映画を見ることを全否定するかのような勢いだ。
しかし、ほんとうにそうだろうか?
ぼくの感覚は、「できれば映画館で見るのが望ましい」という程度である。
なるべく映画館で見たいという思いがあるから、映画館ビジネスに言いがかりをつけてしまったわけだけれど(恥)、それでも「映画館で見るから映画だ」とまでは思わない。
べつに映画館で見なくたって、映画は映画だろうと思う。
それどころか、場合によっては、TV画面で見た方が作り手の意図がよりよく理解できることすらあると思う。
(唐突によそ様のブログにリンクさせていただくが、『HALTANの日記』さんの「日本人が「映画か?」「TVか?」など言い争っているあいだに、文明はどんどん発達していく・・・。」とのエントリーに書いてあることは凄く深い。あまりにも深い・・・)
いや、むしろ映画館に対するこだわりは、有害ですらある。
映画館にこだわるからこそ、映画館ビジネスの部外者に過ぎないただの「映画好き」風情が、人様の商売に口出ししたくなってしまうのだから・・・
客にとって大事なのは、映画を見ることだ。
カネが映画館に落ちるかレンタル業者に落ちるかなんてこと、どうでもいい。
そもそも客には、そんなことを心配する義理はどこにもないのだ・・・
そういうわけで、ぼくは心配するのを止めて、TV画面を愛するようになった。
他人は他人。自分は自分である。
カンタンな話だ。
そんなこともわかっていなかったぼくが未熟者だった。
■まとめ
① 映画館に文句を言うのはやめます。申し訳ありませんでした。
② TV画面で見ても映画は映画です。ほっといてください。(笑)
0 件のコメント:
コメントを投稿