2009年10月14日水曜日

【映画総論】 映像メディアにおける物語の「型」というものを自分なりに考えてみた

■映像メディアにおける物語の「型」

自分がこれまで映像メディアにおいて触れてきた「物語」たちを振り返ってみると、そこには一定の「型」というものがあるように思う。なお、ぼくは映画やドラマが確かに好きだけれど、決して幅広い知識があるわけではない。ただ、それでも、自分の狭く偏った体験を振り返ると、そこにはやはり、個々の物語の差異を越えた、共通の「型」があるように思えるのだ。
結論から言うと、「円環タイプ」と「直線タイプ」の二つに分類できると思う。

■円環タイプ

  要するに、一話完結ものの連続TVドラマである。『あぶない刑事』みたいな。あるエピソードが終わっても、次のエピソードが控えている。だから、時間が円環状に流れていく。
このタイプの物語の眼目は、「確固たる物語世界の構築」である。ある設定に基づいて、数々の物語を積み重ねていくことで、その設定(=物語世界)の存在感を確固たるものにしていく。
観客としては、その世界に没入すること自体が快楽となる。『あぶない刑事』でいえば、タカとユージのやりとりを見ることそのものが楽しい、というような感覚。



■直線タイプ

   対してこちらは、一回きりの物語。映画はたいていこちらに属する。TVなら、単発もののスペシャルドラマ。
一回きりなので、円環タイプと違って「物語の積み重ね」ができない。物語が始まり、そして終わる。それっきり。時間は直線状に流れる。
そのため、円環タイプにあった「確固たる物語世界の構築」という楽しさは、直線タイプにあってはどうしても後退する。その代わりに、直線タイプの物語は、「世界が変容していく様子」を見せることで、観客をひきつける。
世界が変容するなんていうと大袈裟に聞こえるが、要は主人公が成長していく(あるいは挫折する)様子を見せて、観客にカタルシスをもたらす、ということである。
円環タイプの主人公は変化しないところに特徴があり、直線タイプの主人公は変化するところに特徴がある。



■なお、一つの物語の中に「円環タイプ」と「直線タイプ」が同居している場合も多々ある

じゃあ、『男はつらいよ』は「円環タイプ」か?「直線タイプ」か?
たぶん、『男はつらいよ』シリーズにおける個々の作品は、やはり「直線タイプ」の物語と考えるべきだと思う。ただ、そこでの主人公は寅さんではなく、マドンナなのだ。マドンナが、寅さんと出会い、変化する。その様子を「直線タイプ」の物語として見せているのだ。
もっとも、『男はつらいよ』シリーズの総体を眺めた場合、そこには「円環タイプ」の物語が浮かび上がってくる。この場合の主人公は、寅さんである。様々なマドンナとの出会いを繰り返し、しかしいつも相変わらずな寅さん。決して変化することのない、「円環タイプ」の主人公である。そして、観客は、正月の映画館でこの変わらない寅さんに会うことを楽しみにしていた、というわけだ。

一方、たとえば『北の国から』は、逆に、個々のエピソードは「円環タイプ」だが、その積み重ねの総体は巨大な「直線タイプ」を形成している、というパターンだと思う。
毎週『北の国から』を見ていた視聴者は、黒板一家が住む富良野を訪ねるような感覚でいたと思う。これは、「円環タイプ」特有の、確固たるものとして構築された物語世界を疑似体験する楽しみである。その一方で、徐々に進んでいく物語の全体を振り返ったとき、少しずつ変化していく登場人物たちの姿に気付く。いったん生じた変化は、もう元には戻らない。ここには確かに、「直線タイプ」の物語の味わいがある。
このように、すぐれた連続TVドラマというのは、「円環タイプ」のエピソードを積み重ねることによって、巨大な「直線タイプ」の物語を語ることにさりげなく成功しているものだと思う。
(そしてそれは、毎日変わり映えのしない「円環タイプ」の日常を積み重ねながらも、それと同時に、徐々に死へ向かって後戻りの出来ない人生という「直線タイプ」のストーリーを歩んでいる、ぼくたち自身の姿の引き写しでもある)

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