2009年10月25日日曜日

【映画各論】 『96時間』が何故ヒットしたのか分からない(苦笑) 【ネタバレ注意】



■この映画のつまらないところ・・・「父と娘の緊張関係が中途半端」

ぼくはこの映画を見て、正直つまらないと思った。

で、その後色々と考えてみると、ぼくがこの映画をつまらないと思った理由を、「ある一点」に集約できることがわかった。

それは、「父が娘のアメリカ旅行を許す・許さない」のくだりである。

①父は当初、娘のアメリカ行きを許さなかった。アメリカ行きを拒まれた娘は、涙を浮かべて父を罵る。それでも父は許さない。
②しかしその後、父は悩んだ挙句、条件付きで娘のアメリカ行きを許すことにした。喜ぶ娘は満面の笑みを浮かべて父に抱きつく。

・・・なんでそうカンタンに仲直りするんだ?(苦笑)

■『96時間』という映画の中にあっては、世界は「父が娘に必要とされる/されない」のいずれかでしかない

この映画における物語世界。
それは、「父が娘に必要とされる/されない」の二項対立で構成される世界である。
この映画の世界にあっては、リーアム・ニーソンが娘に必要とされるか否かだけがすべてなのである。

そして、毎度申し上げているように、映画のような「直線タイプの物語」にあっては、「その物語世界の変容をいかに説得力をもって描くか」によって、作品の価値が決まる。ぼくはそう考えている。(こちらの記事をご参照ください)

その考え方でいくと、この『96時間』という映画の場合は、「娘に必要とされない世界」が「娘に必要とされる世界」に変容していく様子を描くことになる。

■にもかかわらず「娘に必要とされない世界」の描き方が中途半端

なのに、映画全編を通して、父はそれほど娘に嫌われていない・・・(苦笑)
最初から、娘は、父のことがわりと好きなのである。

そういうことでは、リーアム・ニーソンがいくら人身売買組織を痛めつけたところで、物語世界はさほど変容しない。
リーアム・ニーソンの好演にもかかわらず、見ているこちらの感情はさほど動かされない。

■そこでぼくから提案です

せめて、娘がアメリカに旅立つ際、父娘に仲直りさせずにおいた方がよかったのではないか?

娘に徹底的に嫌われたリーアム・ニーソンが、「娘に必要とされない世界」のどん底で絶望する。
そこへ、娘が人身売買組織にさらわれる。
「・・・俺の出番だ!!」
とたんに生き生きし始めるリーアム・ニーソン。
彼は「娘に必要とされる世界」で無敵の活躍を見せる・・・

このように、「物語世界の変容」を鮮明にしておけば、リーアム・ニーソンのスティーブン・セガールばりの無敵っぷりに、それなりのカタルシスが伴ったのではないか?

■しかし現実にはこの作品はヒットしたのです

・・・とはいえ、実際にはこの作品はヒットした。
いくらぼくがこの作品のカタルシス不足を追及したところで、現実には多くの観客に好評だったのである。

多くの観客は、この作品にしっかりカタルシスを感じたのである。

ぼくのツボがずれてるのかなぁ・・・

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