G線上のアリア
自慰専用の溜まり場
これまで観てきた映画の感想(「各論」)と、映画そのものについて色々考えたこと(「総論」)。
なぜ私のような素人の予想が当って、有力メディアの有名論客の論説がもたもたと不明瞭なのか? それは、彼等の属する主流マスコミ機構が、始めから、真 実から“偏向”しているからであり、私の予想が当るのは、主要偏向メディアより信頼の置けそうな、そして、一般には“偏向論客”と看做されている人々の発 言に、注意深く耳を傾けるからです。(2009・12・02)・・・なにがほんとうなのか、俺なんかには全くわからないよ。
〈芸人がパーソナリティのラジオ番組では、「うちの番組のリスナーはレベルが高い」ということをよく言う〉
今後、「電子の森」がいっそうの発展を迎えることが火を見るよりも明らかな以上、私たちの身体の所在はますますうつろなものとなっていくにちがいない。あらかじめ保証された自然の所産としての身体などは、そのような電子の森にあっては、真っ先にシミュレートされ、現実の座を失ってしまうだろう。肝心なのは、電子の森の模倣能力や計算能力と限りなく相似であるにもかかわらず、最後の一線においてしか見えてこない、模倣も計算もまったく不可能な特異点を、しかもあくまでなまなましい身体として峻別することができるか否かということだろう。
(ちくま学芸文庫版p382)
「私の意図するのは古きよき日本の愛惜でもなければ、それへの追慕でもない。私の意図はただ、一つの滅んだ文明の諸相を追体験することにある。外国人のあるいは感激や錯覚で歪んでいるかもしれぬ記録を通じてこそ、古い日本の文明の奇妙な特性がいきいきと浮かんでくるのだと私はいいたい。そしてさらに、我々の近代の意味は、そのような文明の実態とその解体の実相をつかむことなしには、けっして解き明かせないだろうといいたい。」(本書65ページ)
「しかしなお今日のわれわれは、この物語のユーモアに不気味なもの、何か胸を悪くするようなものを感じる。それはわれわれがおのれという存在、したがって他者をも含むわれわれという存在に、個としてのたしかな証明を求めるようになったから、換言すれば西欧近代のヒューマニズムの洗礼を受けたからである。むろん今日このヒューマニズムは、世界を固定化してきた価値観として十字砲火を浴びつつある。にもかかわらず、われわれは生きるという感覚において、ヒューマニズム以前へ引き返すことは出来ない。われわれは弥次郎兵衛・喜多八のように生きることは出来ないし、またそう生きたいとも願わないだろう。
「おのれという存在に確かな個を感じるというのは、心の垣根が高くなるということだった。(中略)・・・エドウィン・アーノルドのように、日本の庶民世界ののどかさ気楽さにぞっこん惚れこんだ人は、西欧的な心の垣根の高さに疲れた人だった。しかし、心の垣根は人を疲れさせるだけではなかった。それが高いということは、個であることによって、感情と思考と表現を、人間の能力に許される限度まで深め飛躍させうることだった。オールコックやブスケは、そういう個の世界が可能ならしめる精神的展開がこの国には欠けていると感じたのである。」(本書575~576ページ)
| さんま | あの、楽しいことを考えて、 楽しくしようとして、 ダメなときにもそうやって楽しめるって、 ものすごく大事です。 ものすごく大事で、楽です。 |
| 糸井 | あああ、なるほど。 だって、ハズレもオッケーですもんね。 |
| さんま | そう思うんですよねぇ。 それは、あの、ぼくの経験というか、 さんざん、30何年も、世間やマスコミに 叩かれたり褒められたりをくり返して、 世間というのはこう取るのか、 ということを考えているうちに、 いつの間にかそういうふうに なってしまったのかもしれませんけど。 |
| 糸井 | そういうふうに考え続けて、 いろんなものを突き詰めていって、 最後の最後にさんまさんの手元に残る たった1枚のカードっていうと、 もう、「人生、生きてるだけで丸儲け」 というところに行きますね。 |
| さんま | はい。 |
| 糸井 | ありゃあ、すごいことばですよねえ。 |
| さんま | いえいえ(笑)。 まあ、でも、けっきょくそこに行きますね。 もう、すべての人が、もうね、 「服一枚着た時点で勝ち」なわけですから。 |
要するに、一話完結ものの連続TVドラマである。『あぶない刑事』みたいな。あるエピソードが終わっても、次のエピソードが控えている。だから、時間が円環状に流れていく。
対してこちらは、一回きりの物語。映画はたいていこちらに属する。TVなら、単発もののスペシャルドラマ。
ぼくはAVが嫌いじゃないから、レンタル屋で「18禁のれん」をくぐることも少なくない。そこで目にする「企画モノAV」のたたずまいには、何ともいえない愛おしさを感じてしまう。誰のために作られたのかよく分からないタイトルばかりがずらっと並んでいるのを、軽いめまいを覚えながらひとつひとつ眺めるのがたまらなく好きだ。つい時間を忘れてしまう。人の欲望の限りなさよ。