あるある系のコーナーで、こんなネタが紹介されていた。
〈芸人がパーソナリティのラジオ番組では、「うちの番組のリスナーはレベルが高い」ということをよく言う〉
これに対して、おぎやはぎは「そうそうそう、よく言うよね」「あれ何なんだろうね、ははは」と軽く流していた。
これを聴いて、ぼくは思わず唸ってしまった。
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深夜ラジオを支えるものは、ある種のコミュニティ感覚だと思う。
なんというか、「バーチャルな身内感覚」とでもいえばいいのだろうか。
うまくいっている深夜ラジオには必ずその感覚がある。
テレビではあまり語らない本音を電波に乗せるパーソナリティ。
それに共感したリスナーは、番組に強い思い入れを抱くようになる。
そこには、テレビとは違う手触りの、深夜ラジオ独特の「リアル」がある。
とはいえ、もちろん面と向かって直接話しているわけではない以上、それを正真正銘の「リアル」ということはできない。
そこには、番組を成立させるための「ウソ」が、多少なりとも含まれている。
パーソナリティは、何の面識も無い不特定多数のリスナーに対して、さも友達に話しかけるような口調でトークを展開させる。
それは、意地悪な言い方をするなら、「身内感覚」の捏造だ。
・・・べつに、ラジオの偽善をことさらに暴きたてようというのではない。
捏造といったって、パーソナリティは自分の身を削るようなトークをしているのだ。
そこに「リアル」があるのは間違いない。
ただ、それでも「100%のリアル」というのはあり得ないのだろう、ということだ。
もちろん、ラジオに限らず、あらゆる人間関係において、「100%のリアル」はあり得ない。
ほんの少し「ウソ」を混ぜることで、はじめて人間関係は動き出す。
その「ウソ」というのが、深夜ラジオの場合には、「捏造された身内感覚」だということになるのだろう。
そういう話だ。
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で、その「身内感覚の捏造」がもっともよく露見するのは、パーソナリティが「いや~、うちのリスナーはやっぱりレベル高いね!!」とうれしそうに言う瞬間なのである。
もちろん、パーソナリティとしても、まるっきりウソを言っているわけではないだろう。
事実、リスナーの投稿のレベルは高いのだろう。
とはいえ、何の面識もない不特定多数の人間を、こうして「うちのリスナー」と身内であるかのように呼ぶことには、ほんのちょっぴりだけれど、しかし決定的な「ウソ」が混じっている。
それは、深夜ラジオの「タブー」といってもいいかもしれない。
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そう考えていくと、最初に紹介したおぎやはぎの番組の一幕が、とてもおそろしいタブー破りに思えてくる。
そしてもっとおそろしいのは、このタブー破りを、おぎやはぎは「単なるあるあるネタ」として軽く消化したということだ。
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おぎやはぎには、いったいどんな景色が見えているのだろうか?
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