きのうの「木曜JUNK・アンタッチャブルのシカゴマンゴ」(TBSラジオ)でのひとコマ。
長渕剛のコンサートに行った、という話をする柴田。
対して、長渕を斜めから見ている山崎は、要所要所でからかいに入る。
そんな山崎に対して、いかに長渕が素晴らしいかを語る柴田。こんな良い曲があるん
だぞと歌い始める。
しかし、ファンを自称する割には、歌詞やメロディがすんなり出てこない。
すると山崎が、「ああ、それってこういう曲でしょ」と難なく歌い上げる。
「なんでお前のほうが詳しいんだよ(笑)」と柴田。
「俺だってぜんぜん聴いてないわけじゃないからね」と山崎。
「そうね。長渕は男だったら一度は通る道だからね」と柴田。
それに対する山崎の返しがおもしろかった。
「うん。そしてやがて離れていく、っていうね(笑)」
※※※
そういえば、リリー・フランキーがこんなことを言っているのを読んだことがある。
「矢沢・長渕・尾崎を素直に受け入れることが出来るようになったら、男は楽になれる」
※※※
矢沢・長渕・尾崎。
かつてナンシー関は、「日本人はヤンキーとファンシーの呪縛から逃れられない」と喝破
した。
ここでいう「ヤンキー」的なるものを一身に背負っているのが、他でもない、「矢沢・長渕
・尾崎」だ。
日本男子は、誰も「矢沢・長渕・尾崎」を避けては通れない。
「男だったら一度は通る道」なのは確かだ。
しかし、事態はそう簡単ではない。
なぜなら、多くの者がそこから「やがて離れていく」ということも、また事実だからだ。
「矢沢・長渕・尾崎」のファンの中には、初めからずっと同じテンションでファンであり続け
ているひとたちもいるだろう。
しかし、「一度離れて、また戻ってきたひと」というのも、かなりの割合でいるのだと思う。
・・・「矢沢・長渕・尾崎」をめぐって、行ったり来たりを繰り返す。
それが、日本男子の自我のあり方の、偽らざる実態なのではないだろうか?
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