2009年12月22日火曜日

【その他雑記】 似て蝶


G線上のアリア




自慰専用の溜まり場

2009年12月19日土曜日

【その他雑記】 対照的なふたつの『今夜はブギーバック』



ソウルセットとハルカリの『今夜はブギーバック』。

そういう90年代懐古趣味はもういいよ、なんて思っていたのだけど・・・

実際に曲を聴いてみると、めちゃくちゃイイじゃないか!

・・・そんなわけでこの曲、もう今年も終わろうというのに、いまだ飽きることなく聴き続けている。

何がイイって、ラップをばっさり削ったところがイイ。

ぼくの安易な考えでは、ハルカリがラップをやって俊美がボーカルをやりそうだな、なんて予想していたのだが・・・

オザケンの不在を、ハルカリで回避する。

なるほど、そっちか!と思った。

※※※








いっぽうのTHE HELLO WORKSバージョン。

こちらは対照的に、オザケンの不在に真正面から立ち向かう。

オザケンの不在を埋めるがごとく、スチャのラップが男臭くなっている。

過去から逃げずに、歩き続ける男たちの姿。








とくにANIが「コピペッ!」と言い放つ瞬間、ぼくはいつも爆笑しながら泣きそうになる。

なぜって、ぼくは過去から逃げてばかりだから・・・

2009年12月10日木曜日

【その他雑記】 知らないおじさんの顔

「月曜JUNK・伊集院光深夜の馬鹿力」(TBSラジオ)に、空脳アワーというコーナーがある。
俺の脳みそ、どうかしてる!という体験を募集するコーナーだ。

随分前のことだが、そのコーナーで衝撃的な投稿が紹介されていた。

※※※

投稿者は、人の顔を思い出すのがどうも苦手だという。
名前と顔が、頭の中でなかなかリンクしてくれない。

苦心の末、なんとか「自分なりの思い出し方」を編み出したそうだ。

まず最初に、特定の人物の顔を思い浮かべる。
その人物の顔をベースにして、「ああでもない、こうでもない」とパーツを変化させる。
そうやって、思い出そうとしている人の顔に近づけていく。

つまり、投稿者は、人の顔を思い出そうとするたび、「ベースの顔」をまず頭に思い浮かべるのである。
こうしたことを繰り返してきたせいで、「ベースの顔」の記憶は、投稿者の脳にかなり鮮明に刻み込まれている。

その顔は、あるおじさんの顔なのだそうだ。

しかし、投稿者は、そのおじさんとまったく面識がないのだという。

※※※

・・・うーん、なんなんだろう。

あらゆる感想を拒む怪エピソードである。

2009年12月8日火曜日

【その他雑記】 お手上げ

藤永茂氏のブログ『私の闇の奥』より引用。
 なぜ私のような素人の予想が当って、有力メディアの有名論客の論説がもたもたと不明瞭なのか? それは、彼等の属する主流マスコミ機構が、始めから、真 実から“偏向”しているからであり、私の予想が当るのは、主要偏向メディアより信頼の置けそうな、そして、一般には“偏向論客”と看做されている人々の発 言に、注意深く耳を傾けるからです。(2009・12・02
 ・・・なにがほんとうなのか、俺なんかには全くわからないよ。

2009年12月6日日曜日

【その他雑記】 出世する男はここが違う

「安住伸一郎の日曜天国」(TBSラジオ)のポッドキャストを聴いていたら、すごい回を見つけた。

「俺の塩」という回である。

※※※

安住アナの楽しみは、入浴しながらの読書だそうだ。

時間をかけて湯船に浸かる。
そのため、手元の洗面器(※読書台の代わり)には、結構な量の汗が滴ることになる。

それを見た安住アナは考えた。

「この汗を集めて、塩が採れないだろうか?」

※※※

・・・安住アナの挑戦が始まった。

製塩に関する文献を調べ、採取すべき汗の量を推理する。

どうやら、相当な量の汗が必要らしい。
かなり高いハードルだ。

これをクリアするため、安住アナは苛酷な長時間入浴を敢行する。
ただでさえ多忙だから、自由時間のほとんどを入浴にあてることになる。

それだけでも凄いのだが、安住アナはさらにその先を行く。

なんと、自らを「食品メーカー兼食材」になぞらえ、「食の安全」をも追求し始めるのだ。

※※※

出世する男とは、かくも凄まじい執念を抱えているものなのか・・・

とにかく、ポッドキャストを直接聴いて、安住アナの狂気を体感して頂きたい。

安住さん、どうかしてるよ!(いい意味で)

【その他雑記】 恋愛感情の正体は「免疫系のザワザワ」?

きのうの「あべちゃんトシ坊・こりない二人」(RKBラジオ)のひとコマ。

この日の番組のテーマは、「別れる」。
離婚に関して、リスナーのメッセージを紹介しながら、各界の専門家に電話をつないで話を聞いていく、という構成。
パーソナリティの二人は、いずれもバツイチ。そのせいか、いつにもましてディープな話が続く(笑)。

中でも、製薬会社(だったかな?)の研究員との電話で出てきた話が、とびきり面白かった。

なんでも、恋愛感情の正体は、人体の免疫系における「異物に対する反応」なのだそうだ・・・!

※※※

人体は、生きていくのに必要な物質を、外界から取り入れる。
ただ、その物質は、人体からすると「異物」である。
取り入れるべき「異物」と、排除すべき「異物」を選別しなければならない。
そのために働くのが免疫系だ。

で、このように外界から「異物」を取り入れるというのは、実は恋愛についても同じことなのだそうだ。

つまり、恋愛というものを生物学的な観点から表現すると、次のようにいえる。

〈自分と異なる生き物(=恋人)の身体から分泌される物質(フェロモンやら、体液やら・・・)を、それが「異物」であるにもかかわらず、本能的に欲すること〉

そう。恋愛は、「免疫系の活動」として説明することが出来るのだ。

そして、恋人という「異物」を取り入れるべきか排除すべきか、免疫系が「ザワザワ」している状態。
それこそが、あの何ともいえず「ザワザワ」する恋愛感情の正体なんだそうだ。

※※※

さらに面白いのが、恋愛感情が冷めていく理由も、「免疫系」という観点から説明できるらしいのだ。

免疫系を司るのは、「骨髄液」なのだという。
そして、この「骨髄液」は、7年サイクルですっかり入れ替わってしまうのだという。

このように骨髄液が入れ替わるというのは、一体どういうことか。
それは、免疫系がすっかり「更新」されてしまうということらしい。

たとえば、恋人とめでたく結婚し、付き合い始めてから7年が経過したとする。
7年が経過したということは、骨髄液がすっかり入れ替わり、免疫系が「更新」されたということだ。

それはつまり、こういうことだ。

付き合い始めた当初の免疫系は、恋人が「取り入れてもよい異物」なのか「排除すべき異物」なのか迷って、「ザワザワ」していた。
しかし、7年が経過して「更新」された免疫系は、恋人を完全に「取り入れてもよい異物」と判断するようになる。

どんなにザワザワしていた免疫系も、7年が経過すると、すっかり落ち着いてしまう。
言い換えると、「免疫系のザワザワ」であるところの恋愛感情は、7年が経過することによって、ものの見事に冷め切ってしまうのである。

それどころか、あの頃は「免疫系のザワザワ」のおかげで「魅力的な異物」に見えていた恋人が、7年たつと「ただの異物」でしかなくなってしまう・・・!!(泣)

※※※

・・・まあ、そうならないように、結婚後は精神的な結びつきを大切にしましょうね、というオチだったのだけれど。

恋愛と結婚は、科学的に見てもまったくの別物である。というお話でした。

2009年12月4日金曜日

【その他雑記】 矢沢・長渕・尾崎

きのうの「木曜JUNK・アンタッチャブルのシカゴマンゴ」(TBSラジオ)でのひとコマ。

長渕剛のコンサートに行った、という話をする柴田。
対して、長渕を斜めから見ている山崎は、要所要所でからかいに入る。

そんな山崎に対して、いかに長渕が素晴らしいかを語る柴田。こんな良い曲があるん

だぞと歌い始める。
しかし、ファンを自称する割には、歌詞やメロディがすんなり出てこない。

すると山崎が、「ああ、それってこういう曲でしょ」と難なく歌い上げる。

「なんでお前のほうが詳しいんだよ(笑)」と柴田。
「俺だってぜんぜん聴いてないわけじゃないからね」と山崎。

「そうね。長渕は男だったら一度は通る道だからね」と柴田。
それに対する山崎の返しがおもしろかった。

「うん。そしてやがて離れていく、っていうね(笑)」

※※※

そういえば、リリー・フランキーがこんなことを言っているのを読んだことがある。

「矢沢・長渕・尾崎を素直に受け入れることが出来るようになったら、男は楽になれる」

※※※

矢沢・長渕・尾崎。

かつてナンシー関は、「日本人はヤンキーとファンシーの呪縛から逃れられない」と喝破

した。
ここでいう「ヤンキー」的なるものを一身に背負っているのが、他でもない、「矢沢・長渕

・尾崎」だ。

日本男子は、誰も「矢沢・長渕・尾崎」を避けては通れない。
「男だったら一度は通る道」なのは確かだ。

しかし、事態はそう簡単ではない。
なぜなら、多くの者がそこから「やがて離れていく」ということも、また事実だからだ。

「矢沢・長渕・尾崎」のファンの中には、初めからずっと同じテンションでファンであり続け

ているひとたちもいるだろう。
しかし、「一度離れて、また戻ってきたひと」というのも、かなりの割合でいるのだと思う。

・・・「矢沢・長渕・尾崎」をめぐって、行ったり来たりを繰り返す。
それが、日本男子の自我のあり方の、偽らざる実態なのではないだろうか?

2009年12月3日木曜日

【その他雑記】 おぎやはぎのおそろしさ

この間、「火曜JUNK ZERO・おぎやはぎのめがねびいき」(TBSラジオ)を聴いていたときのこと。

あるある系のコーナーで、こんなネタが紹介されていた。

〈芸人がパーソナリティのラジオ番組では、「うちの番組のリスナーはレベルが高い」ということをよく言う〉

これに対して、おぎやはぎは「そうそうそう、よく言うよね」「あれ何なんだろうね、ははは」と軽く流していた。

これを聴いて、ぼくは思わず唸ってしまった。

※※※

深夜ラジオを支えるものは、ある種のコミュニティ感覚だと思う。

なんというか、「バーチャルな身内感覚」とでもいえばいいのだろうか。
うまくいっている深夜ラジオには必ずその感覚がある。

テレビではあまり語らない本音を電波に乗せるパーソナリティ。
それに共感したリスナーは、番組に強い思い入れを抱くようになる。

そこには、テレビとは違う手触りの、深夜ラジオ独特の「リアル」がある。

とはいえ、もちろん面と向かって直接話しているわけではない以上、それを正真正銘の「リアル」ということはできない。
そこには、番組を成立させるための「ウソ」が、多少なりとも含まれている。

パーソナリティは、何の面識も無い不特定多数のリスナーに対して、さも友達に話しかけるような口調でトークを展開させる。
それは、意地悪な言い方をするなら、「身内感覚」の捏造だ。

・・・べつに、ラジオの偽善をことさらに暴きたてようというのではない。
捏造といったって、パーソナリティは自分の身を削るようなトークをしているのだ。
そこに「リアル」があるのは間違いない。
ただ、それでも「100%のリアル」というのはあり得ないのだろう、ということだ。

もちろん、ラジオに限らず、あらゆる人間関係において、「100%のリアル」はあり得ない。
ほんの少し「ウソ」を混ぜることで、はじめて人間関係は動き出す。

その「ウソ」というのが、深夜ラジオの場合には、「捏造された身内感覚」だということになるのだろう。
そういう話だ。

※※※

で、その「身内感覚の捏造」がもっともよく露見するのは、パーソナリティが「いや~、うちのリスナーはやっぱりレベル高いね!!」とうれしそうに言う瞬間なのである。

もちろん、パーソナリティとしても、まるっきりウソを言っているわけではないだろう。
事実、リスナーの投稿のレベルは高いのだろう。

とはいえ、何の面識もない不特定多数の人間を、こうして「うちのリスナー」と身内であるかのように呼ぶことには、ほんのちょっぴりだけれど、しかし決定的な「ウソ」が混じっている。

それは、深夜ラジオの「タブー」といってもいいかもしれない。

※※※

そう考えていくと、最初に紹介したおぎやはぎの番組の一幕が、とてもおそろしいタブー破りに思えてくる。

そしてもっとおそろしいのは、このタブー破りを、おぎやはぎは「単なるあるあるネタ」として軽く消化したということだ。

※※※

おぎやはぎには、いったいどんな景色が見えているのだろうか?